双子の超未熟児 - 出産と育児のブログ

2017年に超未熟児(879g, 1143g)で生まれた一卵性双生児の超未熟児の出産から発育をつづるブログです

大阪でボロい戸建てを購入して民泊・Airbnb仕様にしてみた話

最近のことですが、ちょっと機会がありまして、長屋の物件をフルリフォームして民泊仕様にする仕事をしました。 いろいろ勉強になったので、その話をしてみようと思います。

 

 

 

物件の所在と大方針

物件は、大阪府内にあります。京阪神にアクセスが良く、住宅地としてはそれほど人気がない場所だったので、物件を安く仕込むことが出来ました。

 

大阪府では、建物が所在する用途地域や建物本体が所定の要件を満たし、消防署・保健所の認可を得られれば、民泊営業ができます。大阪は首都圏より不動産価格がだいぶ安いので、やりやすい環境です。

 

建物はものすごい築古(築59年)なのですが、それはそれで、面白いなと思いました。仲介していたのが地場の大手工務店系の仲介業者で、雨漏りやシロアリについては、事前に検査してくれていて問題ありませんでした。

 

大方針として、こんな形で進めることにしました。

  • フルリフォーム
  • 水廻りは変えない(キッチン、トイレ、お風呂)
  • 簡易な耐震補強をする(がっつりはやらない)

 

中途半端なリフォームはしないつもりでしたが、たまたま水廻りが新しく、お金がないこともあり、ここは生かしてコストカットすることにしました。

 

物件購入前の状態

物件を内見した時は、こんな感じでした。
それなりの古さです。

 

▼1F 居間。奥は脱衣所と浴室。

1階居間/施工前


▼1F ダイニング。垂れ壁のせいで狭く見えるので、補強後に取って天井のツラを合わせることに。袖壁も邪魔だが構造上取れない。

1階ダイニング/施工前


▼1F 台所。キッチン台は8年前に取り替えとのことで、古さはありますが、
化粧材だけ変えて生かすことに。

1階台所/施工前


▼2F 寝室1。ここはダブルベッドがぎりぎり2台入る大きさ。

2階寝室1/施工前


▼2F 寝室2(手前)。1Fと同じく垂れ壁が邪魔なので取って、天井を揃える。

2階寝室2/施工前


▼2F 寝室3。

2階寝室3/施工前


▼1F 脱衣場。ここに洗面台を設置して洗面所にする。

1階脱衣場/施工前


やるべきことは、ざっと以下の通りです。

  • 民泊運営業者選び
  • 物件リフォーム
  • 防災工事
  • インテリアデザイン、家具・家電設置
  • 行政認可、近隣対策
  • 資金計画
  • 補助金申請

 


民泊運営業者選び

民泊は一度ブームになったお陰で、周辺業務を受託してくれる業者は山ほどあります。世間に知られるようになって、モグリでやっていた運営者がたたかれやすい環境にあるため、周辺業務の業者は過当競争に陥っており、運営者は選べる立場にあります。

 

初めからいくつか見立てはしていたのですが、今回、この業界では大手に入る会社にお願いすることにしました。ここにお願いした理由は、自社内で物件リフォームとインテリアデザインの請負、近隣対策までしてくれると説明を受けたからです。

別途費用が必要になるとのことでしたが、私が東京在住で、大阪に行く機会が
そんなに無いので、お任せできるところはお任せしようと考えました。

 

通常、民泊運営業者への報酬は、だいたい以下のようなものです。

  • 総売上の20%(総売上 = 宿泊売上 + 清掃売上 - 民泊サイト報酬)
  • 清掃費用(清掃回数 × 清掃実費)

よく見ると、なぜか清掃料金が2度取られていて違和感があるのですが(笑)、これが業界標準です。超ザックリで、だいたい売上の1/3が取られます。

つまり、1ヶ月30万円の売上があれば、20万円が手元に残ります。

 


物件リフォーム

人気物件にするために、まずはリフォームですね。運営業者(以下、運営A)にリフォームのデザインを依頼したところ、「では、提携先をご紹介しますね」との返答。

 

「あれ、、、
   おたくが、やってくれるんじゃないのか?」

 

この運営A、HPは大々的にカッコいいインテリア写真とともに、会社スタッフがドヤ顔で写っていて、自社でリフォームを請負っていそうに見えるのですが、実際のところは民泊周辺業務の受託企業(以下、受託B)に丸投げしてしまいました。

(HPには、確かに自社で請けるとは一言も書いてません)

 

いつもそうしているのか、私の物件でたまたまか分かりませんが、正直、これはヤバいパターンだと思い、自分でリフォーム業者をいくつか見繕うことにしました。

 

私は過去に、個人でリフォームを2度ほどやったことがあるのですが、今回は壊して作っての大がかりなものになる上に、予算が少ないため、これは本気でやろうと合計6社に見積もりを取りました。現地見積りで同じことを6回伝えるたけで、めちゃくちゃ面倒でした。

 

ただ、結果的に、これは良い経験になりました。
リフォーム業者によって、提案のアウトプットが全然違うんですね。

 

・実績の多い大手
提案力が高いが費用も高い。自社でデザイン・仕様決めして施工は下請けに投げる。

・地元の工務店・個人企業の大工
自分で施工するので自社費用が安い。仕上がりの出来は、その人の力量に依存する。

 

前者は、こちらが待ってれば勝手に提案やイメージ写真が出てきます。
後者は、施主がハンドリングしないと、普通のインテリアしか仕上がりません。見積りの上下で、1.8倍ほど違いがありました。

フローリングや壁紙をはじめ、どれくらいの単価が妥当かも、だいたい掴めました。

 

積算にかかる時間だけ各社共通で、現地を見てから見積書が出てくるまで、
1週間~10日もかかりました。なんでそんなにかかるのか、よく分かりませんでしたが、それが標準のようです。

 

最終的には、受託Bに紹介してもらった大工さん(以下、大工E)に発注することにしました。間に受託Bが噛んでいるので少し高いと思いますが、それでも予算内に収まり、大工Eがこちらの要望に柔軟に対応できることが分かったのも決め手でした。

 

対面したときの人柄とか、電気工事や水道工事も自分で出来て、質問に対する回答とか、
「ああした方がいいですよ」
「自分はこう思いますよ」
と、聞いてもないのに指摘があったりで、とても頼りになりました。

単に施主のいうことをハイハイと聞くのではなく、プロ意識をもって自主的にアドバイスをくれる人は、素晴らしいですね。

 

こちらの要望で特に大事だったことは、建具を施主指定にしたことです。
建具について色々調べた結果なのですが、こんな会社にたどり着きました。

サンワカンパニー
https://www.sanwacompany.co.jp/shop/

 

ここって面白くて、いち建具メーカーなのですが、デザイン性と高コスパ、あとはWeb販売にとても力を入れているんですね。東京にはショールームもあったので、実際のものを見に行きました。そして「サンワカンパニーで建てたい」という施主のために、何社も工務店と提携してるんです。

 

普通、立場としては、施工会社が上で、建具メーカーは下なんですね。

だからインテリアの良し悪しは、設計者やデザイナーのセンスに依存しますし、仕入れ原価に対してどれくらい利益が乗ってるか、施主には分かりません。

 

実際、パナソニックとかリクシルのカタログを見て、定価は書いてあるんですけど、楽天でチェックしてみたら、実際の販売価格との差に引きました。
半値八掛けの商品もざらでした。(型番が古いのかも知れませんが)

 

一方で、サンワカンパニーには、自社で客を見つける機能があるので、立場が強いようです。やろうと思えば、サンワの建具だけで部屋を作れます。

施主がWebサイトの写真を見て「インテリアはこんな感じにしたい!」から入って、写真と同じ建具で施工できて、仕入れ原価も分かってるから下手にボラれないですし、とても理想的だと思ったんですね。

 

これは建具業界のトレンドなのかな?と思って他の会社を探してみましたが、他には見当たりませんでした。この流れで、もっと競争が起こって欲しいと思いました。

ここでフローリング、扉、クロゼット、洗面台を仕入れました。発注から納品物の請け取りまで全部、大工Eに柔軟に対応してもらえて楽チンでした。

 

この大工Eですが、話を聞いてみたら、自身が会社の代表でした。
個人でやってる工務店だと思います。

自宅の場所を聞いてびっくりしたのですが、愛媛県から来ていて、今回の施工のために近くの民泊を長期で借りたそうです。

 

非常にコスパの高い施工でしたが、
「そうか~、地方ってやっぱ仕事が少ないんだろうな。。」
と妙に納得してしまいました。


防災工事

防災工事は、非常誘導灯、消火器設置、煙感知器などを取り付けます。最終的に消防の点検を受けて認可を受けなければいけません。

ここは受託Bに紹介してもらった防災屋さん(以下、防災D)にお願いしたのですが、リフォームの見積もりに必死で防災工事の相見積もりを怠り、結果として無駄な費用が出てしまいました。

 

ここは反省点ではありましたが、防災工事は

  • リフォーム業者(大工E)
  • 許認可の手続きを依頼した行政書士
  • 消防署の担当者
  • 防災屋(防災D)

など調整先が多く、こちらの手間を省くために、ある程度致し方ないと思いましたが、次回はもっと上手くできると思いました。

 

今回、1つ想定外のことがありまして、長屋の場合は全ての住戸に防災設備を取り付ける必要があると後で分かり、同じ長屋の隣3件と調整する必要が出てきました。(煙感知器や消化器の設置)

ここは防災Dと行政書士の先生で1軒1軒回ってくれて、上手に調整してくれました。

 

防災設備の工事後に、直接、防災Dの担当者に会う機会があったのですが、
話を聞いたら、この人も社長さんでした。工事やメンテナンスについてコスト面含め詳しく教えてもらえて、この防災Dが受け取っている費用はそれほど高くなく、受託Bが結構マージンを取ってることが分かりました。

ほっほー。

 

ちなみに、行政書士の先生は、許認可の手続きや近隣対策を専門にやっている人で、このへんの業務を全部お願いしました。

民泊周りが出来る行政書士はまだ少ないようで、Webで簡単に探した程度ですが、他に良さそうな人は見つかりませんでした。費用的には少し高かったのですが、フットワークが軽く、人当たりも良く、近隣住民の説明会や物件内覧会まで実施、いろいろと丸くおさめてくれました。

 


インテリアデザイン、家具・家電設置

運営Aは、契約前にはインテリアデザインも出来ると言ってたのですが、依頼をしたところ、個人でフリーランスのインテリアコーディネーター(以下、個人C)を紹介されてしまいました。

この頃には、運営Aには何が出来ないかが分かってきて(というか当初期待していた多くのことが出来ないと分かってきて)、そんなもんかと半ば諦めた前提で進めました。

 

途中、運営A、個人Cと私との3者で、言った言わない、聞いた聞いてないの軽いモメ事があった時には本当に困ってしまったのですが、怒っても仕方がないので、業務を軌道に乗せることを第一に考え、内心「もう2度とお願いしない」と心に誓いながら、こちらで手配を済ませたり人繰りして進めました。

 

個人Cのインテリアセンスはとても良く、割安でかっこいいインテリアを仕上げるための家具リストが手に入ったので、無駄な出費は、このリストを買ったんだと考えるようにしました。。

 

相見積もりをとった別のインテリア業者で安いところもあったのですが、実績のインテリア写真があまりパッとしませんでした。でも次回があるとすれば、この業者にリストを渡して、決めた通りにやってもらったら、上手くできるかな。。(笑)


資金計画

借り入れについては、受ける・受けないは別にして、折角の機会なので勉強しようと思いました。不動産を抵当に入れない前提で、そもそも融資が受けられるかも含めて、打診してみました。

 

・日本政策金融公庫
事業用資金の借り入れとしては最有力です。ここは政府系だけあって、融資の条件が良いです。なのですが、イニシャルコスト(物件取得、リフォーム等)を調達するために打診したにも関わらず、打診が通った後、融資の条件として
「許認可の書面が必要」
という、なんともセンスのない回答が返ってきました。。

許認可は、物件を取得して、リフォームもした後でないと出ないので、結局は資金をつなぐ必要があります。

参考までに、融資の条件は、
・10年返済
・金利は1.85%
・固定金利・無担保
・不動産担保を入れれば、あと0.5%下げられる

という話でした。事業用資金の融資でこの金利は、正直安いなと思いました。今回、結局は自己資金でまかなったのですが、後になって担当から電話が掛かってきて、もう資金需要が無くなった旨を伝えると、

「○○さん(私)のお好きな用途に使って頂いて大丈夫ですよ」
とか言ってきて、
「おい、大丈夫か!公庫!」
と思いました。
融資を受けて株を買ってもいいのかな(笑)


・ノンバンク系
某ノンバンク系の金融機関に打診しましたが、やはり条件は悪くなってしまいますね。
・10年返済
・金利は2.45%
・固定金利・無担保

まぁでも、自己居住用でもないのに、民間企業がこの金利で無担保で貸してくれるって、高くはないなと思いました。

 

・ほか金融機関
その他の融資については、仲介業者に聞いた範囲ですが、地方銀・信金など、
今回の規模の事業だと話に乗ってくれない感じでした。
(実際に窓口まで出向いて話を聞いたわけではありませんが)

アパートやマンション取得の融資なら、金融機関側も美味しいのでしょうが、たかだか築古戸建ての少額需要なんて、やってられないのでしょう。


補助金申請

大阪府には、「特区民泊施設の環境整備促進事業補助金」というものがあります。府が指定したものの整備費用に対して、半額を補助するというものです。
(別途制限がありますが、割愛します)

 

今回の物件では、消防設備の設置コストに補助金をもらえると大きかったのですが、結論としては、対象外になってしまいました。

 

申請期間から、補助金の交付が決まるのが翌月末~翌々月初。それまでの1ヶ月ちょっとの間に、施工の契約をしてしまったら、対象外になるそうです。つまりは、すでに営業を開始しているモグリの施設では補助金を使いやすくて、
営業前から消防設備を入れようとしている施設では使いにくい内容でした。
(補助金を待たず営業開始した方が機会損失にならないし、そもそも応募者多数だと抽選)

 

経済合理性を考えると、モグリで始めて、補助金を受けた方が良いという意味になります。何というか、ここもセンスがないなぁ、、と思いましたが、ダメなものは仕方ないので諦めました。

 

ビフォー・アフター

ということで、以下は施工後、インテリアまで設置した後です。
プロに撮ってもらった写真なので、3割くらい盛られてます。。

 

▼1F リビング。隣戸との間の壁を防音目的でふかしたため、元より狭くなりました。広角レンズのお陰で広く見えることは、ここだけの内緒にしようと思います。

1階リビング1/施工後

1階リビング2/施工後

 

1階リビング3/施工後


▼1F ダイニング。引き戸は吊っていて、床のレールをなくしスッキリしました。

1階ダイニング/施工後


▼1F キッチン。化粧材と壁紙を変えただけですが、綺麗になりました。

1階キッチン/施工後


▼2F 寝室1。

2階寝室1/施工後


▼2F 寝室2。垂れ壁を取って、部屋が明るく広々空間になりました。

2階寝室2/施工後


▼2F 寝室3

2階寝室3/施工後


▼洗面所

洗面所/施工後


▼浴室

浴室


▼トイレ

トイレ

 

最初は分からないこともあって、いくつも問題は出てきましたが、一通りやってみて勉強になりましたし、何だかんだ楽しかったです。

 

次回またやるなら、10%のコスト減・1ヶ月の期間短縮は出来るかなぁ、、、
もっと上手にやれると思いました。

 

双子の未熟児出産(TTTS・双胎間輸血症候群)

手術日が確定して、あとはその日を待つのみとなりました。
日付が変わるに従って、妻の緊張が高まっているのがよく分かります。

 

「それはそうだよな、お腹を切るんだからな、、」

そんなことを考えながら、妻が精神的に一気に落ち込んで泣き出す時間が1日に何度かやってくるので、そんな時にそばにいれるよう、2週間の間、B病院のMFICUで一緒に過ごしました。お風呂だけ困りましたが、近くに昔ながらの銭湯がいくつかあり転々としました。

 

産科の先生や助産師さん・看護師さんには、「旦那さんはお仕事大丈夫なんですか?」とよく聞かれましたが、「インターネットの仕事なんでどこでも出来るんですよ」なんて言いながら笑ってました。きっとニートと思われていたに違いありません。

今の仕事は10年以上やってますが、この2週間ほど、今の仕事のスタイルで良かったと心底思えたことはありません。

 

入院して10日もした頃には、破水した方の赤ちゃんの体がだいぶ固定されてきたのが分かります。羊水がある方は毎回、心音を聞くときに場所が変わるのに対して、ない方はほぼ同じ場所で心音が聞けます。この頃には、早く手術日が来てくれないかと思うようになっていました。

 

容態が安定しているとは言え、やはり毎回のエコー検査や血液検査、心音検査の時には、何か異変が起こっていないか、赤ちゃんは元気でいてくれているかが気になります。今回も大丈夫だった、ああ良かった、あと少し頑張ってくれ、ずっとそんな心境でした。

 

そして、その日がやってきました。

  

手術予定日の2日前、ちょうど28週0日になる前日のこと。
夜になって、妻が「また羊水が出たっぽい」との発言。。。
2度目の破水が起こってしまいました。

 

近く来るかもと思っていましたが、2日前とは。。
B病院での入院中は、ずっとマグセントを点滴しており安定してくれていたので、ある程度は、妻も私も冷静に受け止めました。

このことすぐに助産師さんに伝えたところ、「分かりました」との返答で、特に慌てた様子もなかったため、あと2日は何とかなるかと思いながら、就寝しました。

 

 

その夜、妻に急に起こされました。

「お腹が痛い」

 

私は睡眠薬を飲んで寝ていたのですが、それを聞いて一発で目が覚めました。
「このタイミングで陣痛?」
「一時的にお腹が痛いだけ?」

 

よく分かりませんでしたが、助産師さんに伝えたところ、またもや冷静に「分かりました」との返答。そこからしばらく様子を見ていましたが、だんだんお腹の痛みが大きくなってきたため再度助産師さんを呼んだところ、計器を取り付けてお腹の張りや血圧、心音などを計り始めました。

 

その後、更に痛みが増して、間隔も短くなっていきました。当直の産科の先生も診に来てもらい、エコーの機械も出てきて状況を判断してもらいましたが、
「陣痛ですね。手術します」


いきなり、帝王切開の手術が決まりました。

 

この日はたまたま、いつもエコーで診てくれていた産科の先生が当直していて、麻酔科の先生など帝王切開をする人員は夜間でもいたのですが、この日は週末の深夜で、小児科の先生が1人しかいないとの事で、双子の処置が適切にできるよう、もう1人に緊急で来てもらうまでの1時間、分娩を待たなければならないとの説明を受けました。

 

産科の先生はその後、手術の準備のために別の場所に行ってしまい、助産師・看護師さんが妻の面倒を見てくれます。

「痛い!!!!!」
妻が、何度も叫びます。とにかくお腹の痛みがかなり辛いようで、5分に1回の頻度で陣痛がやってきます。

 

助産師さんに教えてもらって、陣痛時は子宮口の出口を押さえておくと楽になるとのこと。そのとき私にできる唯一のことで、ずっと上から押さえながら、もうちょっと頑張ってくれ、早く先生来てくれと必死で願いながら、時間が経つのを待ちました。

 

幸い、予定より早く先生が到着して、病室を出ることになりました。妻はこのときにはすでに決心がついたようで、泣くこともなく、

「これから生むんだね。やっと双子ちゃんに会えるんだね。」

と、手術室に運ばれていきました。

 

 

妻が運ばれて病室に静寂が戻りました。私は呆然としながらも、手術後はMFICUの別の部屋に移るということで、荷物をまとめて移動する作業に入りました。

手術時間は1時間半程度と聞いていました。部屋の移動後、運を天に任せ、私は倒れるように寝込んでしまいました。

 

 

ほんの短い間の仮眠でしたが、助産師さんが病室に入ってきて目を覚ましました。

赤ちゃんが2人とも無事生まれたこと、その後の経過はまだ分からず、後で先生から説明があること、2人の出生時の身長・体重などが知らされました。

双子の出生体重

 

想定通り、性別は女の子でした。
姉が879g、妹が1143g。

 

体重を見た時、どきっとしました。思ったより小さい。大丈夫だろうか。
妹の1143gでもかなり小さいのですが、姉の879gは生きていられるのか?姉はエコー検査では1000g前後と聞いていたので、思ったより小さく、心配で仕方がありません。

 

その後しばらくして、妻が戻ってきました。横になったまま部屋に運ばれてきた時に目が合いましたが、麻酔の影響か、妻は無表情のまま何も言いませんでした。

痛み止めの点滴が取り付けられ、麻酔が切れると痛くて眠れなくなるかも知れないので、効いている間は少し休憩しましょうということで、仮眠を取ることになりましたが、少し経つとすぐに麻酔が切れてきました。痛み止めの点滴もしてもらいましたが、妻は痛みで全く眠れなかったそうです。

 

出産した時、妹は勢いよく泣いて体が赤かったそうですが、姉の方は泣くこともなく、体全体が黒っぽかったと聞きました。大丈夫だろうか。健常だろうか。どうか何事もありませんように、、ずっと願っていました。

 

 

朝方になり、先生からの説明があるということで、小児科に呼ばれました。初めて、NICU(赤ちゃん用の集中治療室)に入ります。最悪の場合も想定して、その気持ちで説明を聞きに行きました。

 

小児科の先生の説明によると、今のところ、2人とも救命に成功。

未熟児で生まれた赤ちゃんは呼吸が出来ないので、口から気管チューブを挿管されていること、今のところ容態は落ち着いているが、姉の方は一時、心拍が30くらいまで下がったため心臓マッサージを行ったこと、また貧血のため輸血も行ったこと。

 

そして、双胎間輸血症候群(TTTS)の症状が出ており、2人の体重差や検査内容から、間違いないだろうという話でした。妊娠中、TTTSの話は全く聞いたことがなかったので、頭の中は「???」でした。

 

以前、ご紹介した以下のサイトで、詳しい説明がありますので、ここでは紹介のみしておきます。

胎嚢や羊膜の数によってリスクが異なる双子妊娠。NICUのある施設へ転院することに… by pika - 赤すぐ 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

双胎間輸血症候群(TTTS)

 

TTTSで起こりやすい現象としては、以下の通りです。姉も妹も、下記の症状が出ているという説明、あとはどうしても体の小さい方を心配してしまうが、実は大きい方も心不全など体調が悪くなりやすいなどの話を受けました。

 

供血児(姉・小さい方)

  • 貧血、低血圧
  • 乏尿、羊水過少
  • 発育不全
  • 腎不全

 

受血児(妹・大きい方)

  • 多血、高血圧
  • 多尿、羊水過多
  • 心不全 

 

 

実は、妻が入院する前(23週くらい)ですでに、双子であることを考慮しても、お腹がすごく大きくなっていました。21週で姉家族と会った際、姉の臨月よりも腹囲が大きくなっているという話があって、「これから出産が近づくと、どこまで大きくなるんだろう?」と心配していました。

 

手術後に、たまたま執刀医の先生に廊下で会った時に話を聞くと、羊水があった方の赤ちゃん(妹)の羊水がめちゃくちゃ多かったという話を聞いたので、ああそうか、やっぱりTTTSを発症したためにお腹が大きくなるスピードが増したのだろうと理解しました。

 

破水したときに、「ああすれば良かった」「こうやれば良かった」「何が原因だったんだろう?」など解決しない問題ばかり考えて後悔してばかりでしたが、結論としては、TTTSを発症していた時点で、遅かれ早かれ、妻のお腹は張りに耐えられなかったのかも、と考えるに至りました。

 

未熟児で生まれた赤ちゃんは、まずは生後72時間を無事に切り抜けることが1つの山場、その後、7日間の間、容態を安定させることが大事とのこと。

 

保育器に入っている赤ちゃんを、初めて見ました。最初の救命・蘇生は上手くいってくれた。体はどこも欠損していません。五体満足で生まれてくれています。涙が出てしまいました。

今後の後遺症や障害などは全く分かりませんが、今のところは何とか持ちこたえてくれています。

 

体はかなり小さくて、口の中に気管チューブを入れられ強制的に呼吸させられています。点滴で抗生物質・水分や栄養を投与され、体中に計器を取り付けられ、姉は輸血中です。

まだまだ、自分の力で生きていけるにはほど遠い状態ですが、目の前にいるのは紛れもない我が子であり、妻と私の分身です。

まだまだ先は長いですが、お腹の中にいるときよりも、抱えていた不安や心配がかなり無くなって、肩の荷が下りた、そんな心境でした。そして、疲れがどっと出てきました。

 

上が姉、下が妹。身長はそれぞれ33cm・36cm、普段は足を折りたたんで寝ているため見た目の大きさは22~23cmくらい。本当に小さいですが、それでも生きてくれています。

姉879g、超低出生体重児

妹1143g、極低出生体重児

 

帝王切開 手術日決定

今日、先生から話があり、手術日が決定しました。
来週開けすぐの帝王切開とのこと。

朝いちばんの手術で、かかる時間は1時間~1時間半程度、術後の退院はその1週間後。A3用紙でスケジュールの表をいただきました。

 

妻はやはり怖い、不安ということを言ってます。そりゃ、怖いだろうし不安なのは間違いない、、自分がその立場でも同様の気持ちになります。でも避けては通れない道。

妻に何事も問題なく、すべてが順調に終わりますように。赤ちゃんが2人とも元気で健康に生まれますように。

そう願ってやみません。

 

 

余談ですが、10日前に破水してA病院からB病院に緊急搬送された妻。

週明けには満床が解消されるかも知れないとのことで、A病院での治療継続を希望して1週間待ちましたが、それでもNICUが満床で、結果受け入れ出来ないとの報告を受けました。これを受けて、B病院の判断に従い帝王切開の予定を決めることとなりました。

 

ただ、後からよくよく考えてみると、これはA病院とB病院の間では、すでに最初から決まっていた予定調和だったのだろうな、、と。
A病院の病床が足りなかったからB病院に搬送された訳で、たまたま週が明けてNICUが空いたところで、今回の私たちみたいに緊急対応が必要な患者もきっと出てくることでしょう。

 

両病院は、治療方針は違いましたが、両方とも大きくて有名な病院で、MFICUやNICUでの治療が可能です。私たちは結果としてA病院での治療を継続できなかったものの、それでも翌日早朝に(双子にも関わらず)B病院に受け入れをしてもらえて、本当にラッキーだったなと考えるに至りました。このラッキーが手術のときも出生後も、続くことを願うほかありません。

 

 

切迫早産・前期破水・未熟児・双子について調べたこと、聞いたこと

妻の容態がある程度安定してきて、私も妻も、Webに上がっている情報を調べる時間的な余裕が出てきました。

 

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「切迫早産」「前期破水」「未熟児」「双子」などのワードを組み合わせて検索すると、良い情報も悪い情報も出てきます。その中から、読みやすくて確からしい情報を探し出します。

悪い情報を目にすると、自分たちもそれに当てはまってしまうんじゃないかと不安になってしまうのですが、こと早産は在胎週数がかなり大きな要素の1つとなるので、注意深く見るようにしています。

Webの情報では、まとめサイトは基礎的な情報は手に入るのですが、教科書的すぎて当たり障りのない情報しか手に入りませんし、書いてあることがだいたい横並びでコピペっぽい感じです。

一方で、実際に破水を経験された妊婦の方や、産科の現場で仕事をされている方のブログは、読み込めばかなり参考になります。

 だいたい週数が違ったり、ほとんどが単胎児の情報だったりするので、今の自分たち(26週の双子)を当てはめて情報の差分を取り、分からないことを先生に質問・相談するという作業を行っています。

 先生に聞く際も、現在はB病院のMFICUにお世話になっているため、主治医の先生に聞くことが多いのですが、エコー検査に来られる別の産科の先生や、部屋に巡回に来る助産師にも質問しています。

元々いたA病院の主治医の先生にもセカンドオピニオンとして病院に出向いて聞きにに行ったり、A病院に電話してMFICUの別の先生にも聞いたりしました。

 質問は、違う人に「同じ質問を、何も知らない態度で」聞いています。すでに他の先生に聞いて「こういう事だろう」ということも、改めて知らないふりして聞いてます。

これは、先生や助産師によって、認識・解釈が違ったり、表現が違ったり、そもそも治療方針・やり方が違ったりすることを今回学んだため、同じ質問を色んな人にして「確からしさ」を固める作業としてやってます。

 

ここまで、A病院・B病院の主治医、ほかの産科の先生、助産師の方に聞いた質問と回答を、まとめました。なお現在は、A病院で破水の後、NICUの空きが足りないためB病院に緊急搬送されている状況です。

 

 

Q.破水時に最も気をつけなければいけないこと

まずは細菌感染。通常、前前期破水は稀なケースで、細菌感染が原因で破水したことを疑わなければならない。

以下、A病院/B病院の治療方針の違い。

A病院 → 各種検査で細菌感染していない可能性が高いことが確認できれば妊娠継続する。点滴で張り止め、抗生剤を投与して、出来るだけ週数を稼ぐ。

B病院 → 最低限の応急措置(張り止め、ステロイド注射し48時間もたせる)をした後、張り止めも抗生剤もやめて、体の自然反応に任せる。感染があると子宮が収縮するから、それに合わせる。陣痛が始まれば帝王切開してNICUで蘇生させる。感染したまま胎内に置いておくのは危険。26週まで来ていれば、例え早くても分娩してNICUで蘇生させた方が危険性が低い。外に出せば、やりようはいくらでもある。

 

Q.破水後の張り止めについて

A病院 → 妻のケースでは、ウテメリン(リトドリン)は副作用が強いため使わないと思う。マグセントは継続する。妊娠継続のために、1~2ヶ月使うことも致し方ない。
※リトドリンはウテメリンのジェネリック薬品で、成分は同じ。

B病院 → マグセントは48時間に限り効果がある。それ以上投与しても、早産を遅らせることはできないため、やってもやらなくても同じ。マグネシウム中毒を起こさないよう、血中濃度に気を配って投与する。
ウテメリン(リトドリン)は効果がないため使わない。妊婦の張り止めにウテメリンを使っているのは日本くらいで、欧米では全く使われていない。使っても意味がない。これらのことは、アメリカの研究で実証されている。

 

Q.マグセント(張り止め)の使い方について

B病院では、結果的に2週間ほどマグセントを使うことになりました。本来はそのような治療はしないようですが、すぐにでも陣痛になることを心配した私たちに配慮頂いて、そのようになりました。

用量は10ml/時間で、標準的な量とのこと。マグセントは筋弛緩作用があり、用量を間違えると危険。赤ちゃんを分娩した時も、使用しない場合と比べてぐったりしていることがある、とのこと。

なお、マグセントの正式な添付文書に記載されている「原則として、妊娠35週以下又は推定胎児体重2500g未満の切迫早産に使用することが望ましい」のは何故か?という質問をしたところ「それ以上の週数なら、出産させるからではないか」との回答でした。

ほか、添付文書で気になったところとしては、

  • 切迫早産に対して本剤を分娩直前まで持続静脈内投与した場合、出生した新生児に高マグネシウム血症を起こすことがあるため、分娩前2時間は本剤を静脈内投与しない(切迫早産)
  • マグネシウムイオンは容易に胎盤を通過するため、本剤を分娩前24時間以内に投与した場合は、新生児に呼吸障害、筋緊張低下、腸管麻痺等の高マグネシウム血症を引き起こす場合があるので、生後から24時間まで、もしくは48時間までの間は監視を行う
  • (慎重投与)リトドリン塩酸塩投与中の患者[併用により副作用が増強する恐れがある]
  • 妊娠中の投与により、胎児に胎動低下が、新生児に心不全、高カリウム血症、低カルシウム血症が現れることがある。
  • 血清マグネシウム濃度4~7.5mg/dL:(症状)切迫早産の治療域。

 

 

Q.抗生物質について

A病院 → 治療すなら、点滴で強めの抗生物質を投与するとのことでした。抗体をもった細菌が出ないよう、2週間ごとに抗生物質の種類を変えるそうです。(結果的にA病院には戻れず、治療は受けられませんでした)

B病院 → 飲み薬。アモキシシリン(カプセル)、エリスロシン(粉末)の2つを1日3回服用。 

 

Q.26週で羊水が無くなったことについて

赤ちゃんは羊水を飲むことで肺を成熟させる。26週であれば、まだ肺が未熟(肺低形成)ではあるもののNICUで必要な蘇生を行い救命することができる。

 

Q.羊水が無い方の赤ちゃんはエコー検査でも大丈夫そうか?

羊水が無い方は窮屈ではあるが、幸い隣の赤ちゃん(羊水がある方)が子宮をふくらませてくれており、単胎の場合と比べて多少余裕があるように見える。双子とも膀胱におしっこが溜まっており、血流も大丈夫。

血流が悪いと、体の反応として本当に大事な部分(脳や心臓)に血流が集まり他の臓器に行かなくなり心拍数が下がるが、今は双子ともその兆候は見られない。

羊水がないことの問題は、

  • 細菌感染しやすい
  • へその緒が圧迫され血流が悪くなる
  • 赤ちゃんの成長が抑制される

など。

  

Q.破水後のステロイド注射の意味

早産の赤ちゃんは、肺が未熟なために生まれてから自分で呼吸するのが困難である。(新生児呼吸窮迫症候群というそうです)
破水などが原因で、1週間以内に早産が予想される場合、βメタゾン(副腎皮質ホルモン、ステロイド)という薬剤を母体に注射することで、胎児の肺を成熟させる。

ステロイドの筋肉注射を24時間間隔で2回行って、効果が出るまでに48時間、その間は張り止めの点滴で陣痛が起こらないように持たせる。

(妻の場合は、ウテメリンとマグセントの混合で点滴してました。副作用で、貧血・めまい・顔が真っ赤になっていました)

 

Q.妊娠を継続したらステロイド注射の効果は落ちるか

分からない。諸説ある。通常は破水してから1~2週間以内には分娩になるが、それくらいなら効果に問題はない。

以下、治療方針の違い。

A病院 → ステロイドを再度投与することはない。
B病院 → 1ヶ月以上、妊娠を継続する場合、もう1度ステロイド注射を打つかどうかは、病院側で検討して判断する。

 

Q.破水後の感染兆候、お腹の赤ちゃんの安全を確かめる方法

  • 血液検査 → CRP(炎症反応)、白血球数(免疫反応)
  • 赤ちゃんの心拍数 → 110~160回/分の範囲内。感染症だと心拍数が上がり、悪化するとストンと落ちるそうです。
  • 超音波検査(エコー)
  • 母体の発熱
  • 羊水の色 → 透明ならOK。出血がないか。

 

Q.血液検査の基準値・正常値

  • 白血球数 3.5~9.0(1000個/μl、要は3,500~9,000個/μlです)
  • CRP 0.2以下(mg/dl)

妻の場合、B病院の転院初日 → 2日後 → 4日後 → 8日後 → 11日後で、

  • 白血球数 12.7(H) → 14.5(H) → 8.3 → 10.7(H) → 10.1(H)
  • CRP 0.07 → 0.04以下 → 0.05 → 0.14 → 0.51(H)

白血球は基準値を少し超える数値が出ましたが、問題ないだろうとのこと。炎症反応(CRP)は全く問題ないようでした。問題あるときはどれくらい上がるのか聞いたところ、1を一気に飛び越えて、5とか10とかもあるという話でした。

 

Q&Aは、以上です。

 

Webで情報収集している際、他の方のブログを読んでいて、妻のケースと似たような記事を見つけました。

「助けられない命」

https://ameblo.jp/sanfujin/entry-11287022713.html

2絨毛膜2羊膜性の双胎妊娠で1児が妊娠20週前後で破水してしまった例です。

この記事を読んだとき、週数こそ違えど私たちのケースそのままでした。このケースの場合は胎児は20週、また肺が形成されていない時期です。赤ちゃんは羊水を飲むことで肺機能を成熟させていますが、20週で羊水を飲めず肺低形成のままだと、母体では生きることは出来ますが、外に出た途端に呼吸が出来なくなってしまいます。この記事を読んで、自分と重ね合わせる点もあり、胸が痛みました。

 

羊水については、こちらの記事が分かりやすかったので、貼りつけておきます。

赤ちゃんを守る羊水の重要な役割

https://www.premama.jp/p/pregnancy/body/pt0305.html

 

ほか、参考になったブログも貼っておきます。

Trachelectomy - 破水してしまいました・・・(25週5日) (2)

https://plaza.rakuten.co.jp/renkun424/diary/201106210000/

前期破水からの出産 - 2回目の破水、転院

https://ameblo.jp/zenki-hasui/entry-11474070736.html

旅人目線 - 破水、母体搬送(22週)

http://haruchaki.com/blog-entry-67.html

双子☆星 - 出産までのお話

http://futagobosi.ti-da.net/e2802813.html

 

これらのブログや、本記事も、多くの方に読んでいただいて、参考にして頂ければ幸いです。 

 

 

 

早産児/低出生体重児の統計・原因・死亡率について知ったこと

B病院の産科の先生によると、

  • 通常は破水してしまうと1週間以内に陣痛が起きて分娩しなければいけない
  • 全体の2/3はその方向で進む
  • 張り止めをしても出産を遅らせる効果はない
  • 分娩方法は帝王切開
  • 今の双子の週数・体重だと、9割以上が救命できる。(逆に言うと、1割が亡くなる)

とのこと。

遅かれ早かれ、このかなり早い段階での分娩/出産という選択肢しかないことになります。

 

続いて、小児科の先生から説明がありました。今の週数で赤ちゃんを産んだ場合の資料を貸してもらえました。それは、私達にとってはとても受け入れがたい内容でした。

不安ばかりが頭の中でぐるぐると回り続け、涙が止まりませんでした。

 

【目次】

  

低出生体重児・早産児

低出生体重児・早産児の資料を読み込みました。理解を助けるために「用語の定義」を書いておきます。

  • 超早産児 = 在胎22週0日~27週6日(つまり在胎28週未満)
  • 早産児 = 在胎22週0日~36週6日(つまり在胎37週未満)
  • 後期早産児 = 在胎34週0日~36週6日
  • 正期産児 = 在胎37週0日~41週6日
  • 過期産児 = 在胎42週~

後期早産児とは、ほぼ正期産の37週に近い週数でありながら、どうしても正規産児と比較して合併症/発達遅滞などの割合が多くなってしまうため、このように呼ぶそうです。

 

低出生体重児

次に、「低出生体重児」についてです。上ではあくまで在胎期間の長さで分類されていましたが、それとは関係なく、出生時の体重で分類されます。

  • 低出生体重児 = 出生体重2500g未満
  • 極低出生体重児 = 出生体重1500g未満
  • 超低出生体重児 = 出生体重1000g未満

うちの双子の赤ちゃんの体重は、エコー検査の推定値なので、どうしても誤差はあるのですが、大きい子が1000-1050g程度、小さい子が900-950g程度です。

つまり、上記リストの「極低出生体重児」「超低出生体重児」の両方に分類されることになります。

 

 以下、早産児の割合、低出生体重児の割合を示すグラフです。少し古く2010年のデータとなります。

在胎期間別:早産出生割合

在胎期間別:早産出生割合の円グラフ(2010年出生)

  • 22週~28週未満 5%
  • 28週~32週未満 8%
  • 32週 4%
  • 33週 5%
  • 34週 9%
  • 35週 18%
  • 36週 51%

うちは23週目で切迫早産で入院、26週目で破水。どちらにしても早産の中でも5%に入るような、少ないケースであることが分かります。20人に1人の割合、、、なんでこんなことになったのだろうと、色々と振り返って後悔する材料を探してしまいます。

 

出生体重別:低出生体重児割合

出生体重別:低出生体重児割合の円グラフ(2010年出生)

  •  ~999g 3%
  • 1000~1499g 5%
  • 1500~1999g 13%
  • 2000~2499g 79%

同じく1500g以下というくくりで見ると、計8%程度というとても少ない割合に入ってしまいます。妊娠・出産のことは、自身がこんな経験をするまで全く知りもしませんでしたが、例え低出生体重(2500g未満)で生まれるとしても、全体の約8割、ほとんどの赤ちゃんが2000gを超えていることを知りました。

しかしこの現実も、受け入れていかなければいけません。

 

 

早産・低出生体重児の原因

母体が原因になるものとしては、子宮筋腫・子宮奇形・子宮頸管無力症(私の妻の場合はこれが原因でシロッカー手術を受けました)など子宮がもともと疾患を持っているケースが多いそうです。

そして怖いケースとしては、細菌感染です。感染により炎症を起こしている場合、細菌を殺すために白血球が集まってきますが、それが出す物質などで卵膜に損傷が起こったり子宮収縮が発生し、破水に向かうそうです。

 

B病院では、こういった体の基本的な反応を薬で押さえ込まないようにし、陣痛が起こってしまったなら外科的・人工的な方法で赤ちゃんを蘇生させる方針をとっています。

今の週数で破水してしまうのは普通はないそうで、卵膜が細菌感染により炎症を起こして破水したのであれば、中にいる赤ちゃんが危険ということになるそうです。

B病院がすぐにでも分娩をした方が良いと勧める根拠はここで、帝王切開して外に出してしまえば、すでにNICUの準備も整っているためいくらでも蘇生措置をとることが出来るとのことでした。

しかし、シロッカー手術の時に培養検査で細菌感染がないとの診断を受けました。ずっと入院していたため、どこで感染する可能性があるのだろう?と考えてしまいます。

 

極低出生体重児の死亡率 

次に、何らかの要因でかなり早く生まれてしまった低体重児(極低出生体重児:1500g未満で出生)が、どれくらいの割合で亡くなってしまうのか、2005年のデータをもらいました。

以下、極低出生体重児の新生児死亡率です。

  • 1000~1499g 2.6%
  • 500~999g 10.4%
  • 500g未満 45.2%

手元には1990年からのデータがあり、1990年だと1000~1499gの死亡率が6.9%ありますから、2005年までの15年間で、医療の発展でかなり多くの赤ちゃんの命を救うことができるようになったことが分かりました。

 

今は2017年、当然2005年当時と比べて更に救命率がアップしたことは間違いないでしょうが、それでも上記数字に我が子の体重を当てはめると、1割の確率で死亡してしまいます。

運良く蘇生・救命できたとしても、その先に何らかの後遺症が残る可能性もあることを考えると、少しでも長く子宮の中にいてくれる方が安心ではないか、今のところ、血液検査の結果では、細菌感染の兆候は見られていないことから、何とかこのまま妊娠を継続させることが出来ないかと考えるに至っています。

 

超低出生体重児(1000g未満)の発達予後

平成24年度の厚生労働科学研究の報告書で、2005年出生の超低出生体重児(1000g未満)が出生後、予後観察されて3歳、6歳時点での後遺障害発生率についてのレポートがあります。

超低出生体重児(1000g未満)の発達予後、障害発生率の推移(2005年出生)

 以下、数字を丸めていますが、主なところで

3歳児

  • 脳性麻痺 10%
  • 知能発達障害(遅滞)15%
  • 知能発達障害(境界)19%
  • 弱視 4%
  • てんかん 3%
  • 気管支ぜんそく 11%

6歳児

  • 脳性麻痺 17%
  • 知能発達障害(遅滞)20%
  • 知能発達障害(境界)24%
  • 弱視 12%
  • てんかん 3%
  • 気管支ぜんそく 9%

脳性麻痺や知能発達障害の認知が、3歳児よりも6歳児の方が多くなっている要因としては、子供が小さいうちは運動能力や知的能力が健常なのかそうでないのか、親や専門家が判断しづらいためと考えられます。

 

調査は2005年のもので、今はもっと数字が改善しているはずですが、3歳児や6歳児のフォローアップは、どうしても3年、6年たたないと分からないことになりますので、この数字は現時点で最新に近しいと言えると思います。

この統計は5年ごとに取られているようですが、本音のところでは、2010年版というのが存在すれば(2010年出生の6歳児は2016年なので存在するはず)もっと理解がしやすかったと思っています。Webで調べてみましたが、これだというものは、見当たりませんでした。

 

この統計のサンプリング数は表に記載の通りで約300~390件となり、数字としては少なすぎる事はない思いますが、先生に聞いたところ1000g未満ということは400gとか500gで生まれるなど、さらに超早産の子も含まれるため、必ずしも信憑性の高いものではないと言われました。確かに、500gで生まれた子と1000gの子とは、それなりの差が出るはずです。

 

またこの資料には、「フォローアップ率が低く、報告された結果の信頼性は必ずしも高いとは言えません」という注釈が付いています。推定にしか過ぎませんが、この意味するところとして、我が子が超早産で生まれても、予後が良好で後遺症や発達障害が全く問題なさそうだったら、先生にわざわざ何年も診せに行かないよな、と思いました。つまり、健常でない子が集まった統計になっているかも知れません。

 

表に記載されている、知能発達障害の「遅滞」「境界」の違いについては、私が調べた範囲内なので不正確かも知れませんが、

  • 遅滞 → IQ70未満を精神遅滞と言い、理解力・会話力・思考能力などが年齢に比して低く、家族を始め周囲の支援や理解が必要となる。同じ遅滞でも重度・中度・軽度に分類されるが、ここでは詳細省略。
  • 境界 → IQ70~85を境界領域知能と言い、明確に知的障害というレベルではなく自立的な生活を送ることも可能と考えられる。

詳しい情報を知りたい方は、専門家の方に聞くのが良いと思います。

 

「遅滞」「境界」は、互いに独立した関係(つまり「遅滞」であり「境界」でもあるという状態は存在しない)と理解しているためパーセンテージは単純に足し算できると考えていますが、先生に聞いたところ「確認を取ってみる」ということで、明確な回答は得られていません。

また合併症状を起こしている子も含まれるため(例えば、脳性麻痺と知能発達障害の両方を合併しているなど)、1000g前後の低出生体重児がここの数字に表れているように、それなりの確率で後遺障害を持つかというと、そうとも言い切れないとのことでした。

 

子の成長の過程で、親や専門家が過敏になってしまって、大した症状でもないのに境界領域知能の範疇に入れてしまったり、正期産だったとしても最初から後遺症を持っていた可能性もあります。

ただ、その分を差し引いたとしても、私たちの場合、今の週数で分娩してしまうことは、とてもリスクの高い出産になると考えました。

 

できることなら、少しでも在胎期間を延ばしてあげたい、少しでも母親のお腹の中で体重を増やしてあげたい、 少しでも死産のリスクや後遺障害のリスクを減らしてあげたい、そのためにどのように動けば良いのか、そういうことを、ずっとぐるぐると考えていました。

 

 

 

破水からの転院、超早産へ

破水してから、妻はMFICUに逆戻り。私も家に帰るわけにもいかず、A病院に宿泊の許可を取ってMFICUで妻と同じ部屋で一晩を過ごしました。

 

その場で自分の母親と、妻の母親それぞれに電話します。電話するとき、私は頭の血が引きすぎて椅子に座ることもままならず、病室の床の冷たいタイルの上に仰向けになりながら、2本の電話をかけました。ショックで声もうまく出ないほどでした。

 

妻の母親は、近い場所に住んでおり、電話してから1時間ほどして病院に駆けつけてきました。昼間、ついさっきまで見舞いに来ていて、楽しく談笑していた時とは状況が一変しています。妻はずっと泣いています。

 

私の母親は遠方在住ですが、翌日の新幹線に乗って、東京に来るという話になりました。私は自宅で犬を飼っているのですが、家のことと犬の世話と、あとは何かあったときにすぐに動けるようにとのことでした。

 

 

翌朝、ほとんど眠れないままMFICUの部屋がまた慌ただしくなります。朝を迎えてから、各種検査がまた始まり、お腹の赤ちゃんのエコー検査も行われます。お腹の赤ちゃんは2人とも、まだ生きています。幸い、破水した方の羊水はまだ残っているようです。

 

続けて、別の病院に連絡をして受け入れてもらえるかの打診が始まったとの説明を受けました。

「え!?これから転院?」
「そんなことって、あるのか?」

 

看護師さんに詳しく聞いてみると、

  • A病院では現在、未熟児用の保育器が満床で受け入れできない
  • 来週明けには空きが出るかも知れない
  • 都内で転院できる病院を探している(今朝の段階で決まっていない)

 

状況がよく分かっていなかったのですが、全ての設備が整っていて、病院の評価も高く、「ここなら大丈夫」と、A病院を選んだのですが、何のことはない、NICU(24時間対応の赤ちゃん向け集中治療室)が足りず転院を余儀なくされてしまいました。

私自身、これまで病院に長期間お世話になった経験がなく、満床で転院なんてケースは、全く想定していませんでした。でも、一刻を争う事態です。色んな事が、同時並行的に、勝手に決められていきます。それには従わざるをえません。

 

私はこの日以降の予定を2週間分、全てキャンセルしました。

会社のメンバーや、業務上近しい人には業務上支障が出るため、簡単に事情を説明しましたが、取引先や知人には、とてもじゃないですが気を遣わせてしまうので言えません。「どうしても外せない用事ができた」と、うやむやにする他ありませんでした。

 

結局、1時間ほどして受け入れ先の病院(B病院)が決まりました。救急車に搬送される時も、妻はずっと泣いています。私はMFICUの部屋にある荷物を全部引き取る必要があるため、救急車に乗らずその場で別れることに。

これからどうなるか全く分からない、先が真っ暗な状態で、病院名と産科の先生の名前だけ聞いて、荷物の撤収作業をして自宅へ持って帰り、B病院へ移動をするのでした。

 

 

 

その後、2時間ほど経過してB病院に到着しました。最初の印象は、「ボロい・・・」

A病院は建物を新築したばかりで、施設も設備もとても新しい病院でした。一方、B病院は昔からある有名な大病院でしたが、とにかく施設の落差に不安になりました。

 

受付で病室の場所を聞いて、MFICUに入ります。
中に入ると、すでに中に入っていた妻と、妻の母親が顔面蒼白でこちらを見ています。

話を聞くと、B病院に搬送されてすぐ、最初に手術台に乗せられ、いろいろな検査があって「これから手術が始まるのか?」という不安と恐怖でいっぱいになったそうです。結局、緊急手術の必要性はないと判断されたようで、病室へと移動してきたのでした。

 

こちらに来る救急車が移動中にかなり揺れたらしく、こちらでエコー検査を受けたところ「羊水がほとんど残っていない」との説明があったとのこと。

「え!?今朝までちゃんとあったのに、無くなった??」
「お腹の赤ちゃんは、どうなるの?」

妻と母親の印象は私と同じで、「この病院で本当に大丈夫なのか?」
話を聞くにつれて、不安しかありません。

 

しばらくして、産科の先生が病室に入ってきます。
B病院の治療方針を聞いたのですが、A病院とは全く違ったものでした。

 

・A病院
できるだけ羊水を子宮に残しておく。1日でも長く赤ちゃんをお腹の中に残してあげる。今は26週だが、何とか28週までは持たせたい。
そのため歩行は禁止、尿管を付けて、ベッドで絶対安静。お腹の張りや陣痛を起こさせないため張り止めの点滴、抗生剤を使って時間を稼ぐ。

 

・B病院
赤ちゃんの肺を成熟させるためのステロイド筋肉注射を24時間間隔で2回打った後は、張り止めも抗生剤も止める。体の自然の反応を待ち、陣痛が始まって出産になるなら、そのまま外に出してあげてNICUで蘇生させる。
そのため病室では自由に過ごして良い。トイレのために歩いても良い。食事も普通にとる。

 

話を聞いている途中、治療方針が違いすぎてかなり不安になってしまい、気分が悪くなって、その場にまた座り込んでしまいました。

 

私は知り合いに、ここまでの早産をした人はいません。単に話を聞いていないだけかも知れませんが、安定期まで来たら、多少の経過の善し悪しはあっても、普通に生まれるものだとばかり考えていました。それが今、全然違うシナリオになっています。

 

これからどうなるのか、全く分かりません。
暗い将来しか、見えません。
何の解決策も分かりません。
妻と私は、ただ泣くしかありませんでした。

 

 

 

退院直前、26週目の破水

A病院でのシロッカー手術は無事終わり、MFICU(母体胎児集中治療室)に部屋を移動して経過を見ます。手術が終わった当日は、麻酔が切れてから傷口の痛みやお腹の張りで、かなり大変だったそうです。

手術後は妻の母親に来てもらっていましたので、何とか面倒を見てもらえましたが、私は仕事のため外出しており、大変だった話をその日の夜、面会に行った際に聞かされました。

 

手術が終わって2日後には尿管も外れ、妻は点滴のガラガラを引きながら自由に動けるように。その後は、お腹の張りもなくなってきたようで、ウテメリンを点滴しながらの生活が始まりました。

 

私は毎日、病院に面会に行って、妻がだんだん元気になってくる姿に安堵しながら、点滴はいつ外れるんだろう、退院はいつになるんだろう、ということをいつも話していました。
ウテメリンは血管をダメにしてしまうため、注射針を刺している場所を4~5日に1回変えますが、刺しているところの皮膚はしばらく赤く腫れていますし、注射針の後も結構残ります。痛々しい姿を見ていると、何とも言えなくなります。

 

妻は注射針が苦手で、出来ることなら刺し替えたくないといつも言ってましたが、まっすぐで太い血管があまりないそうで、刺す腕が右に左に変わってました。また看護師でも針を刺す上手い下手があるようで、何度か刺し直しもあったそうです。

 

手術後10日たって、ようやく点滴が外れる日がやってきました。ウテメリンが服薬に変わり、1日上限6回の服薬をして、特に問題なさそうだったら自宅療養に変わる、、そんな話で、
「あぁ、ようやく普段の生活に戻れる、、」
そんな安堵の気持ちでいっぱいでした。

 

この間の子宮頸管長は、平均3.0cmほど。元々は4.0cmあって入院時は1.2cmですから、元に戻ってはいませんが、随分安定していました。

 

 

そして週末。

 

私は特に自宅でやることもないので、昼と夜に面会に行って、その間は近くで仕事をするという週末の過ごし方をしていました。

妻はMFICUを出て、通常の4人部屋に移されていました。点滴のガラガラもなく自由でいられます。昼間は、妻の母も来ており、たわいもない話をしながら妻が元気なことを確認して、そのまま仕事へ。週明けの月曜か、翌日火曜には退院できると先生から話をもらっていたので、家で療養生活をする準備をしようと思っていた矢先のことでした。

 

夕方、面会に行くと、妻が「さっき、ここ(ベッド)で本を読んでたら、お股から水みたいのが出てきた」と一言。全然痛くないし、また血が出たわけでもないそうで、「一応、看護師さんに報告したよ。」という話でした。

ちょっと嫌な予感はしましたが、痛みもないようだし、ベッドで安静にしているし、別に大したことはないだろうと思っていました。しばらくして、看護師さんがやってきて、「ちょっと検査に来てもらえますか?」との話。

 

「ちょっとヒヤっとするなぁ、、」とか思いながら、検査室へ。すぐに結果が出るということで、私は検査室の外で2~3分ほど待たされました。妻は検査室の中で、医師や看護師と話をしています。

 

そして、名前を呼ばれて検査室の中へ。

入った瞬間、妻が目を真っ赤にして大粒の涙を流しながら、嗚咽しながら私の方を見ていました。

「ああ、破水したのか。。」
一瞬で、分かりました。

 

テーブルの向かいに座っていた医師から、開口一番告げられました。
「完全破水です。」

妻はMDツイン(一絨毛膜二羊膜性双胎)といって、1つの胎盤を双子で共有し、2つの羊膜つまり二部屋に分かれている状態の双子です。その内、一方の子宮口に近い方の赤ちゃんの羊膜が、破れてしまったのです。
(完全破水とは、子宮口側の羊膜が破れることを意味します。)

 

こちらのブログに詳しく書かれていますが、このシリーズをもっと前に見ていたら、、と思ってしまいます。

胎嚢や羊膜の数によってリスクが異なる双子妊娠。NICUのある施設へ転院することに… by pika - 赤すぐ 妊娠・出産・育児 みんなの体験記

以下の画像で言うと、MDツインとは真ん中のケースです。(画像出展:赤すぐ)

双子の妊娠3タイプ

 

 破水を先生に告げられた時、

「え?」

聞いた瞬間、私はそれ以上のことが言えませんでした。というか、何も言葉が出ませんでした。どうなるか全く分かりませんでした。

 

妻は泣きじゃくっていて、病院のスタッフはかなり重苦しい雰囲気になっています。破水したらまずいと、ずっと前から聞かされていて、この瞬間、何の実感もなかったのですが、じわじわと恐怖感に襲われます。

「これから何が起こるのだろう?」
「どういう問題が出てくるのだろう?」
「お腹の赤ちゃんは死んでしまうのだろうか?」
「重い障害を持って生まれてきたらどうしよう?」
「なんで破水してしまったんだろう?」
「あれがマズかったのか?これがマズかったのか?」

妊娠出産について全く無知の私は、今起こっていることで次々と自分に問いかけますが、全部何の答えも出せません。

 

妻は泣きじゃくりながら緊急でMFICUに戻されます。目の前で、張り止めや抗生物質の点滴、尿管、張りの状態を見る機械や胎児の心拍を計測する機械など、フル装備で体中にどんどん計器が取り付けられます。

 

通常、破水すると陣痛が来ます。陣痛は始まると止められません。1kgにも満たないような赤ちゃんがそのまま生まれてしまうと、肺が未成熟のため窒息死します。そのため早産児は、最初に呼吸を助ける必要があります。赤ちゃんの肺の成熟を早めるためのステロイド筋肉注射が打たれました。24時間後にもう1本打ちます。この後24時間もてば、生まれてからの赤ちゃんの呼吸を助けることが出来ます。

 

妻はパニック状態で周りの看護師さんに「何でもするから赤ちゃんを助けて下さい」と言って、大泣きしています。それを見ながら、私はどんどん焦ってきて、体中に汗が吹き出てきます。

 

妻の検査のために私は一度、MFICUから外に出されました。
「お腹の中の双子が2人とも死ぬかも知れない」という現実を突きつけられて、私は頭から血の気が引いてしまい、気分が悪くなって、その場で座り込んでしまいました。「大丈夫ですか?」とその場にいた看護師に血圧を測られる始末でした。

 

「どうなるんだろう?」
何の答えも分からないまま、長い夜を過ごすことになりました。

 

 

子宮頸管無力症 → シロッカー手術(子宮頸管縫縮術)へ

A病院に妻が入院してから、まず最初に血液検査とおりものの細菌検査が行われました。

このタイミング(23週)で切迫早産となった場合、一番ケアすべきは症状が進行して破水することであり、破水してしまうと最悪、流産に繋がってしまいます。これは絶対に回避しなければいけません。そのためにお腹の張りを抑える点滴(ウテメリン)を投与しながら、検査で細菌に感染していないかどうかを確認します。

 

血液検査では、主にCRPと白血球数を見るそうです。CRPで炎症反応を見て、白血球で免疫反応を見ます。妻の場合、この数値には特に異常はありませんでした。

細菌検査は、子宮頸管のおりものを採取し培養して、細菌に感染しているかどうかを確認します。これには培養のために時間を要するため、入院当日に検査を開始しても、結果が出るのは5日後でした。

 

A病院の方針として、現在の頸管長が短い(1.2cm)上に双子のため、ここは大事をとって、「子宮頸管縫縮術」という手術を行うことになりました。ただし手術を受けるためには、細菌に感染していないことが条件になります。

 

手術はすぐにでも受けなければいけない状況とのことでしたが、細菌感染がないことを確認するまでに5日かかります。そこで手術日は培養検査で陰性が確認された翌日、つまり入院の6日後に設定してもらいました。もし感染があると手術をスキップすることになるため、最初はもう少し先になるという話も聞きましたが、病院側が上手に調整してくれました。

 

入院時は、抗生剤とウテメリンを処方されていましたが、ウテメリンは少々副作用があるようで、妻の場合、手の震えに悩まされたようでした。3~4日ほどで点滴の針を別の血管に刺し直さなければいけないらしく、注射針が嫌いな妻はいつも凹んでいました。

 

 

そして手術前日。

 

幸い細菌感染もなく、先生から手術についての説明があるということで、私と妻で話を聞きました。そこで初めて、妻の症状に名前がついていることを知りました。
「子宮頸管無力症」と言って、子宮の収縮(お腹の張り)がないのに子宮頸管が開いてしまうことを指す症状とのこと。

 

妻は自覚症状こそありませんでしたが、ウテメリン点滴をすることで、これまで普通だと思っていたお腹の固さが、実は張っている状態だったことが分かり(本当に固かったので、子宮収縮が無かったわけではないと思うのですが)子宮頸管縫縮術を受けることになりました。

 

この手術によって、子宮頸管を糸で縛り子宮口が開かないようにします。通常、妊娠36~37週に抜糸して分娩に備えるそうですが、妻の場合は双子で帝王切開をすることが確定しており、このケースでは帝王切開の手術が終わった後に、麻酔が効いている内に抜糸も済ませてしまうそうです。

 

子宮頸管、内子宮口、外子宮口

 

子宮頸管縫縮術には2種類あり、上の図の内子宮口で縛るシロッカー法と、内子宮口・外子宮口の間くらいを縛るマクドナルド法があります。前者は確実だが難易度が少し高く時間もかかり、後者は簡易ではあるが前者ほど確実ではありません。 

妻は、シロッカー法(確実な方)で子宮頸管縫縮術を受けることになっているとの話を受けました。

子宮頸管縫縮術(シロッカー法)

 

妻には、不妊治療をしていた時から、本当にたくさんの痛い思いをさせています。
人工授精、子宮内膜症(卵巣嚢腫)の腹腔鏡手術、体外受精、そして今回のシロッカー手術、、、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。

なんとか、何事もなく万事うまくいってくれますように、、、そう願ってやみません。

 

双子の赤ちゃん切迫早産→緊急入院

今日は朝から妻とA病院へ。
双子の赤ちゃんの発育状況を見に、いつもの定期検診。

エコーで双子の心音を確認して、頭の直径、お腹の直径、大腿骨の長さを測って、想定体重を測定します。毎回確実に増えている赤ちゃんの体重、ここにくるたび順調な様子が確認できて、嬉しい時間でした。

 

ところが今日、問題が発生しました。

 

最後に切迫早産の兆候がないか子宮頸管の長さを測定するのですが、検査が終わって先生から結果が芳しくないことを告げられました。

そして、いきなり入院。妻は自宅に帰ることすら許されず、そのままA病院の上階にある病棟に入れられることに。

「まじか。。」
突然のことだったので、私も妻もあっけにとられてしまいました。

 

前回の定期検診はわずか3週間前、前回は頸管長が4.0cmあって、これは全く問題なく正常値だったのですが、今回はわずか1.2cmしかなくなっているとのこと。
入院の基準は2.0cm以下、双子の場合は余計にリスクがあります。つまり今すでにかなりまずい状況であることが分かって、びっくりしてしまいました。

 

確かに、この1ヶ月で突然お腹が大きくなってきて、でも双子だからなぁ、なんて思っていたのですが、まだ23週目ですし、赤ちゃんも1人あたり600~700g程度しかないですし、入院になったとしてもまだまだ先の話と勝手に思い込んでいました。

 

妻はつわりこそ酷かったですが、これまでお腹が痛いとか、体調が悪いとか、出血とか、そういったものが全くなくて、「本当に安心だね」なんて話をしていて、性別も女の子だろうと分かってきて、服を買ったりベビーカー買ったり、いろいろと動き始めたところだったので、まさに寝耳に水でした。

 

ところが妻の方は、何となく察していたのか、もし入院になったときのためにと自分が病院生活できるように荷物をまとめていていたようでした。
荷物のことや、今すぐだと何が必要かを聞いて、すぐさま自宅に戻り、荷物を病院に持ってきた時には、すでに妻は4人部屋に収容されていました。

まさか、こんなことになるなんてと思わざるをえませんが、入院するしか選択肢はありませんでした。