双子の超未熟児 - 出産と育児のブログ

2017年に超未熟児(879g, 1143g)で生まれた一卵性双生児の超未熟児の出産から発育をつづるブログです

子供の将来のために、分からないくらいの小さなストレスをしれっとかけ始める話

うちの娘たちは、あれから順調に大きくなってくれていまして、11ヶ月目(修正月数で8ヶ月目)に入りました。体重は7.3kgくらいで、最近ではリビングを縦横無尽にハイハイするようになりました。つかまり立ちもし始めて、少し目を離しただけで部屋中荒らしてくれます。

 

うちでは犬を2匹飼っているのですが、犬がいるだけで面白いらしく、毛や尻尾を無理矢理引っ張ったり、寝床を占領してはケタケタと笑っています。

これくらいの赤ちゃんの脳の成熟度だと、犬ってどういう風に見えてるのかな?と、ふと不思議に思うわけですが、噛んでくるかも?なんて心配は当然してなくて、まるで怖がってません。(犬の方は迷惑そうです)

 

この子たちは大きくなっても、犬を怖がらないでしょう。
一方で、犬を怖がる子も沢山いるわけで、この違いって何なんだろう?と、ふと考えてしまいます。

 

犬がいるというインプットは同じで、興味を持ったり怖がったりとアウトプットが違うというのは、

・犬が大丈夫と経験済 or よく分からないので興味ある
・犬が怖いと経験済み or よく分からないので怖い

そんなとこなのでしょうが、この子達を育てるにあたって、今のうちに許容度の幅を無意識に広げてあげたいな、と勝手ながらに考えてます。

 

犬っていくら室内で飼育したとしても、散歩に行けば手足を汚しますし体臭もあります。犬のトイレ周辺はオシッコやウンチで臭います。怖いとかだけでなく、小さい頃から犬が汚なかったり臭いことが分かっていたら、大きくなっても動物の汚さや臭さに不快感を覚えず、こんなものだと認識します。

子供にとっては無意識の内に、小さなストレスを許容する経験になります。

 


少し前のことですが、テレビで「つり革を持てるか?」ってインタビューやってて、だいたいの人は大丈夫なのですが「絶対無理」という人もいました。
「誰が触ったか分からないから汚い」とか「最悪、ハンカチで持つ」とか。

あと、有名なツイートだそうですが、これご存じでしょうか。

https://twitter.com/sakamegane/status/769455359593287680/photo/1

私は意味が分かりませんでしたが「オエッ」てなった人は潔癖だそうです。

誰かがかじった後だからダメなのかと思ったのですが、実は違っていて、包装の外側って、どこで汚いものに触れているか分からないのに、その上にドーナツ乗っけてるからアウトだそうです。まじか、と(笑)

ドアノブを触れない、便座に座れない、食べるものをシェアできない、それぞれNGポイントは違うでしょうが、なかなか窮屈だと思う訳ですね。許容できないことが多いと、自分が辛くなります。


大人になってからの拒否反応って、少なからず、小さい頃の経験が大きくなってからの感情に無意識に反映されてます。

 

まだ1歳にも満たない娘達ではありますが、とりあえず今、与えられる環境は集団生活と考え、妻の仕事再開を早めてもらい保育園に入れることにしました。

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残念ながら2枠空いている保育園は無かったのですが、双子それぞれが別々の保育園で通わせることが出来ました。普段は必ず2人一緒にいますが、保育園は別々なので離ればなれです。

 

園では、怖い先生もいるでしょうし、意地悪な子もいるでしょう。
風邪などの病気をもらってくるでしょうし、ケンカしたり転んだりする、でも全部OK、強い子になるために必要なことです。


例として分かりにくいかも知れないのですが、ふと、こんなこと考えます。

時速100kmで走っている車で壁にでも衝突すると、、まぁ死にますよね。
同じ車で、時速20kmくらいで衝突すると、多分、死なないですよね。

その昔、物理で習った運動エネルギーの法則ってやつを当てはめると、両者の運動エネルギーって25倍違います。(質量×速度^2)÷2

これ、面白いと思いません?

1回だけ100km/hでぶつかったら即死するのに、25回に分散して20kmでぶつかったら多分、25回とも死なない。ですけど、両者は等価です。小さく25回も事故れば、用心して1回の大事故を回避できます。

 

何が言いたいかと言うと、自分の子供には1回の大打撃を回避するために、小さいストレスを色んな形で与えて、免疫を付けたいんですね。1回の大打撃 = 下手したら死んじゃうほどの何か、です。

 

大人になって矯正しようと思っても難しいような根の深い問題というのは、子供の頃に蓄積されるものだと考えます。自立した大人なら自分で行動を起こせますが、子供には出来ません。

 

今は、アナログな集団生活の環境を、小さい内にしれっと与える。怒られる、ケンカする、病気する、最優先してくれない、姉妹一緒でない、小さいストレスをかけます。でも、その環境には秩序があります。

 

 

双子の出産前、姉から「子供へのまなざし」という本をプレゼントしてもらいました。

姉は自分の子供が大きくなってから読んだそうなのですが、書いてあることが自らの経験にめちゃくちゃ当てはまったそうで、「もっと早く知りたかった」と、私にプレゼントしてくれたのでした。

その中に記述があるのですが、「親って子供にあれこれ教えようとするけど、子供は親からでなく、子供同士のコミュニティから学ぶ」というくだりがあります。

これ結構、腹落ちしたんですけども、別に親が必死で頑張らなくても、そういう環境に入れてあげて育ってくれればいいや、と。

すでに子供が成人しておられる方々には「甘い」ってお叱りを受けるかも知れませんが(笑)、今後、5年・10年かけて様子を見ながら方向修正を続ける実験なのでしょうね。。

 


ちなみにですが、このように考える理由は、私自身が子供の頃に受けた親からの教育の影響があるのかも知れません。親は非常に自由放任主義と言いますか、けっこう自由に育ててもらいました。

 

母親に普段制限されていたことは、

  • 学校を休むな
  • 悪い友達と付き合うな
  • ファミコンは1日1時間まで

くらいなもので、あとは適当でした。

(今だと、ファミコン → スマホの時間制限なのでしょうね。)

 

体育会系の部活は必須で、小学校の頃は部活と野球チームに所属してました。

夏休みには「浜寺水練学校」といって、私の地元である大阪では有名なのですが、水軍ゆかりの少しスパルタな水泳学校に行ってました。

子供には足が下に付かない深いプールで、立ち泳ぎの巻き足を習うのですが、教官が怖い人で、出来ない子供を無理矢理、プールに沈めるんですね。

今はコンプライアンス的に大丈夫なのか不明ですが(笑)、私は巻き足が出来なくて沈められる子でした。子供心に「やばい、殺される」くらいの勢いで必死で泣きながら、じたばたしてたのを覚えてます。

 

後になって、その頃の教育方針について聞いたことがあるのですが、母親は、自分自身が「厳しさ」を教えられないから、集団の中に放り込んで同級生・先輩や、他の大人に教えてもらうようにした、と言ってました。

体育会系なんて特に、上下関係や理不尽がつきもので、怖い人や無茶な人もいて、理屈が関係ないことも多々あります。ときに今日あった嫌なことを母親に言いつけるのですが、
「理不尽を理不尽と分かったまま気にするな、そんなことは社会に出てから嫌というほど経験する。」とだけ言われる場面が何度かありました。理不尽なことこそ、子供の頃に経験させておかなければいけないと考えたそうです。

 

今思うに、そのように育ててくれた母親には感謝しています。

 

 

一方で、母親が用意した環境でも習えなかったことがあります。その中の1つとして真っ先に思いつくのは、、、「暴力」です。もちろん、人様をぶん殴れということではありませんよ。(字面通りには受け取らないで下さい)


子供の頃、父親が仕事の関係でほとんど帰って来ず、1-2ヶ月に1度くらいしか帰って来ませんでした。実質的に母子家庭みたいな感じだったのですが、父親と息子の会話が、ほぼ皆無だったんですね。

するとですね、男の立場(父親)から、「男だったら○○しろ/○○するな」と教えられることが無いんですよ。

 

子供って、自分の感情に正直といいますか、端的に言うと残酷です。イジメ問題というのがやはりありまして、小中学校の頃、準イジメられ要員の時期があったんですね。

それでもクラスにもっとイジメられる子がいたり、私は最後に爆発してギャー!って大泣きしながら反撃する子だったので、集中的にやられることは無かったのですが、それでも嫌な思いは何度も経験しました。

 

子供の頃って、多かれ少なかれ、誰でもあるじゃないですか。
自分にどれだけその気がなくても、相手が一方的にケンカを仕掛けてくる。

母親が子供を教育する際、「ケンカをするな」と教えることは、正しい道理です。そして、「ケンカを吹っかけられたら、やりかえせ」とは、普通言いませんよね。これも正しいです。

私の父親も「やり返せ」とは言わなかったかも知れません。でもですね、今思うに小中学生くらいなら、ちょっとしたケンカの1つや2つは、時と場合によっては必要だと思うんですね。

 

この暴力というやつは、私のケースですと、大人になってもついて回りました。
日常は殆どなくても、でもごく稀に巻き込まれます。

 

その昔、現場監督をやっているときに、気性の荒い鉄筋屋の兄ちゃんに鉄筋で殴られる、家の帰宅途中に酔っ払いに絡まれる、あとは某外国でボコボコにされた挙げ句にカツアゲされる(笑)、、、

特に外国のやつは、ニュースでよく聞く「首に絞められたような跡」がはっきり付くくらい首を絞められて目の前が真っ白に見えなくなったのですが、精神的にショックを受けて、1ヶ月くらい立ち直れなかったんですね。

 

これを切っ掛けに、ずっと30数年の間、暴力を避けて逃げ続けてきたことを悔い改めて、物理的に強くなろうと格闘技のジムに通い出したんですね。もう8年ほど続けてますけども、「あぁ、何でもっと早く始めなかったのか」と後悔しています。子供のころに習いたかった。。上手いか下手かで言うと、めちゃくちゃ下手なのですが、格闘技はすごくお勧めです。気持ちの余裕につながります。

 

娘達にも先々、最低限の護身のため、あとはそういう目に遭ったときの心理的なダメージを軽くするためにも、小さい内に習わせるつもりでいます。


この子達の世代は、どうなるんでしょうね?生まれたそのときに、すでにスマホがある世代って、すごいですよね。20年後、世の中がどうなっているか全く予測できませんが、今よりも更に、人は孤独になっていることは間違いないと思います。

 

IT業界にいる私が言うのもなんですが、子供が小さいうちにデジタルの世界に深く入り込むのはあまり良いことでないと考えており、一定の距離を置こうと考えてます。

 

自分が育ったような環境を用意したいと考えるのは親のエゴなのでしょうが、
できるだけアナログな世界で、思い通りにいかない環境で、周りの人の力を
借りながら、良い子に育ってくれればと願ってます。